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우울의 실체로서의 <환각>과 <죽음> -사토 하루오(佐藤春夫) 『전원의 우울』(田園の憂鬱)의 세계-

Authors
이지형
Issue Date
Jun-2009
Publisher
한국일본어문학회
Keywords
우울(melancholy); 환각(illusion); 죽음(death); 자의식(self-consciousness); 사토 하루오(Haruo Sato)
Citation
日本語文學, v.1, no.41, pp.243 - 263
Journal Title
日本語文學
Volume
1
Number
41
Start Page
243
End Page
263
URI
https://scholarworks.sookmyung.ac.kr/handle/2020.sw.sookmyung/7605
ISSN
1226-0576
Abstract
本論文は佐藤春夫の代表小説『田園の憂鬱』の<憂鬱>を牽引する媒介としての<幻覚>と<死>のイメージに焦点を合わせて作品の中でのその機能と意味を把握しようとした。  この小説においての<田園>はまさに心象空間といえる。逆説的に、実体としての<田園>そのものが小説の表題語の<憂鬱>と何の本質的な関係を持っていないからである。空間は田園にしろ都会にしろ、どこでもよいのだ。ただ、近代的芸術家の<自意識>と<神経>をより繊細かつ敏感に肥大化させ、芸術家であるための必要条件である<憂鬱>を呼び込むことだけが肝心である。『田園の憂鬱』でそれを牽引するのは主人公の幻覚である。その中でも幻聴の聴覚的体験は注目に値する。幻聴より頻繁に訪れる幻影の視覚的体験はそのイメージの過剰が主人公を苦悩と混沌にに陥れる。が、幻聴の方はその欠乏こそが不安、焦燥をもたらす動因となる。幻影と幻聴のイメージはこのように対比的な構図を成している。 テキストの終局部で前景化されるのは<死>のイメージである。しかし、そのイメージは停止や消滅のような<死>の定型化されたイメージとは程遠い。テキストが志向するのは、<死>そのものではなくて、<憂鬱>の極大化として<死的なもの>をひたすら描き出すことだからである。近代の芸術家は限りなく<憂鬱>ではあっても、けっして<死>を迎えることはない。『田園の憂鬱』が到達する終着地は、限りなく<死>に近いところから逆に<生>を喚起する近代的な逆説や転覆の美学なのである。
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