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패전 직후의 천황제 존속과 민중The Continuance of Japanese Emperor System and the People after Defeated World War 2

Other Titles
The Continuance of Japanese Emperor System and the People after Defeated World War 2
Authors
박진우
Issue Date
May-2004
Publisher
대구사학회
Citation
대구사학, v.75, pp 255 - 264
Pages
10
Journal Title
대구사학
Volume
75
Start Page
255
End Page
264
URI
https://scholarworks.sookmyung.ac.kr/handle/2020.sw.sookmyung/159232
ISSN
1225-9039
Abstract
敗戰という、日本歷史において未曾有の衝擊を経驗した日本の國民が、これまで絶對的な忠誠と崇拝を强要されてきた天皇制に對してどのように認識し、またそれが戰後の天皇制存續にどのような影響を及ぼしたかを明らかにすることは、天皇制の存續と象徵天皇制の誕生を理解するうえで極めて重要な意味を持つといえよう。 本稿ではこうした問題を二つの觀点から考察した。一つは、米國が天皇制存置を決定する過程で、特に日本派とマッカ〡サ〡をはじめとするGHQ關係者たちが日本人の天皇、天皇制に對する認識をどのように理解し、判斷し ていたかを中心に檢討した。もう一つは、敗戰を前後した極限狀況のなかで、民心の動向と民衆の天皇制に對する認識を檢討し、それが天皇制の存續と象徵天皇制の誕生にどのような影響を及ぼしたかを檢討した。 マッカ〡サ〡をはじめとするGHQ關係者や日本派が日本人の天皇制に對する認識をどのように理解していたかを檢討する時に注目されるのは、彼らの極端的な反ソ、反共主義が日本の國民性に對する認識と深く結びついているという点である。すなわち、日本派は「從順」な民衆が共産主義に汚染されるのを防ぐために天皇制の利用を考えたのであって、民衆の主体的な「革命運動」を未然に防ぐために天皇制の存置を考えたのではなかった。 一方、敗戰直後の民衆の天皇、天皇制に對する態度や認識は一律的には言い切れないほど複雜なものがあった。しかし、これを强いて分類するならば批判、あるいは無關心な反応と相変わらず忠誠、從順する反応とに分けることができる。このなかでも批判的な立場のもっとも一般的な反応は不穩言動や流言蜚語の形で現れており、そのなかから國家変革の長期的な構想や体系化された思想は發見することができなかった。また、主体的に「國体」の変革を考えたのは共産主義者や少數の知識人に過ぎず、彼らの主張は民衆の同調を得ることができなかった。大多數の民衆は軍部や官僚の指導層に對して「騙された」という怨望を表出していたが、それは天皇に對する批判にまでは發展しなかった。 このように大多數の民衆の天皇に對する「從順」は戰後の天皇制が「象徵」として衣更えするうえで重要な基盤をなすものであった。天皇は民主主義と平和主義を先頭でリ〡ドする新しい「人間天皇」として衣更えしていたのであり、これに對する民衆の「從順」は、戰前のような絶對的な忠誠と服從によるものではなく、共に苦難を経驗し、これからも共に克服していかなければならないという共感帶によるものとして形を変えて現れていた。敗戰後民衆が天皇制を克服できなかったもう一つの重要な要因はまさにここにあるといえよう。
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