아쿠타가와상(芥川賞)과 일본 여성문학 ― 2000년대 이후 수상작을 중심으로 ―Akutagawa Prize and Japanese Female Literature: Focusing on Award winning Novel after the 2000s
- Other Titles
- Akutagawa Prize and Japanese Female Literature: Focusing on Award winning Novel after the 2000s
- Authors
- 이지형
- Issue Date
- Feb-2012
- Publisher
- 한국일본학회
- Keywords
- 芥川賞; 女性文学; 身体; 労働; 歴史; 個人
- Citation
- 일본학보, no.90, pp 151 - 164
- Pages
- 14
- Journal Title
- 일본학보
- Number
- 90
- Start Page
- 151
- End Page
- 164
- URI
- https://scholarworks.sookmyung.ac.kr/handle/2020.sw.sookmyung/6799
- ISSN
- 1225-1453
- Abstract
- 本論文は2000年代以後の芥川賞受賞作品の考察を中心として日本女性文学の現在を考察しようとした。女性作家の高い比率以上に女性文学の存在感を示すのは、その問題意識の幅と奥行きである。その内実を四篇の主な受賞小説を通して分析した。その結果、<身体>と<疎通>、<労働>と<日常>、<歴史>と<個人>という三つの視座を抽出することができた。綿矢りさ『蹴りたい背中』と金原ひとみ『蛇にピアス』において、<身体>は主体と他者の<疎通>可能性と不可能性を同時に担保する両犠的媒介体として機能する。津村記久子『ポトスライムの舟』は<労働>に満ちたある女性の<日常>の物語である。観葉植物ポトスライムは彼女の<日常>を、舟は<夢>をそれぞれ象徴する。暗鬱な現実を淡々に生き続ける生の有り様を多様な女性群像の描写を通してうまく再現できたことこそが本小説の美徳である。最後に<歴史>と<個人>の話頭は赤染晶子『乙女の密告』において顕著にぶつかる。アンネ․フランクという<歴史性>が乙女という特殊な<個人性>に遭遇した時、そこで生じたのは何だったのか。歴史の省察的召還に通してのみ<個人>はようやく<主体>として生まれ変われるという主題意識は正しい。だが、その結論を導出する過程の軽々しさは批判すべきものである。依然として<歴史>は、<真実>は、重いものであるからだ。このように現代の日本女性文学は厳正な普遍性を保持する。完結体よりは可能体よして、女性文学は芥川賞の現在と日本文学全体の現座標を象徴的に表す縮図といえる。
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